プラタナスの風(ブログ)

2 階病棟/大原英

 去年の暮れ実家に帰ると、母が「右手の小指と薬指が曲がって伸びなくなった」と言いました。その後クリニックを受診し私に電話をかけてきました。「筋が切れているから良い先生に紹介状を書くと言われた。病院に連れて行ってほしい」と頼まれ勤務調整をして頂きました。紹介病院へ母を連れ受診するとやはり2本の指の腱は切れていました。原因は分かりませんが、手首の骨が異常に突出しそのために腱が擦り切れたと思われます。手術をしなければ治らない、このまま放置すれば4本とも切れるおそれがありますと説明を受けました。もともと膝が悪くびっこをひいて歩いていた母は、知人が最近膝の手術をしたことをきっかけに自分もしたほうがいいか悩んでいましたが、長期間家をあけることになるため決断できなかったのです。しかし今度ばかりは利き手が使えなくなると言われ、迷っているわけにはいきません。淡々と手術日が決まり、どのくらい入院になるのか母が尋ね、1.5か月くらいだと言われました。診察室を出たあと母が「さぁ困った。どうしよう。2週間ばぁで帰れんかな。とと(父)は何とかなっても問題はアンちゃんよ」と言いました。

 私は高校卒業してすぐ親元を離れ、弟も結婚し家を出ていますので過疎化の進む田舎に両親のみで生活しています。81歳の父は畑仕事をするほど元気なのですが、昔ながらの男性といいましょうか、下着の置き場所も知らない家事全般を母に頼っています。田舎の家は鍵がなく開け放題で、よく野良猫たちがやって来ます。野良猫が子猫を産み隠していたため発見した時は目が開いて処分する気になれずそのまま飼っています。アンちゃんとはその中の一匹、部屋の中で飼い母と寝起きを共にしています。この猫がまた母にしか懐かず他人を見ると姿を隠します。部屋から一歩も出したことがないそうです。母にとっては我が子同然で、父の事よりさらに悩んだようです。父には世話を頼むことができません。

 手術日前日に入院しました。父には炊飯器と洗濯機の使い方を教え、知り合いのショッピングカーに毎日おかずを届けてもらうように頼んできたと言いました。アンちゃんについては1週間分の水と餌を構え、部屋中にオシッコの砂を敷いてきたと言う。あとは弟の嫁さんに休みの日に見に行ってもらい水とキャットフードを与えてもらうよう頼んだとの事でした。「この際、部屋中が臭くなっても仕方がない」と笑いました。こんなとき、弟には頼まず嫁さんをあてにします。そうして無事手術が終わり、入院期間もあっという間に過ぎました。2週間ばぁで帰ると言っていた母もいざ入院すると入院生活が楽だったのか早く帰るとは言いませんでした。父の方が早く帰れとせかしていたようです。アンちゃんは嫁さんが少しだけ姿を見ることができたようで(部屋の隅で固まっていたそうです)安心したようです。

 今回の母が入院した出来事は両親のこれからの生活についていろいろと考えていかなくてはならないことを思い知らされたことでした。


ホームますがた/三谷伸好

 来年2020年は二度目の東京オリンピックが開催されます。世界中の様々な国の人々が日本に集まって競い合うスポーツの一大イベントです。自分もサッカー、柔道と新種目のスポーツクライミングとスケートボードに興味津々です。

 話は変わりますが、オリンピック誘致の際に有名になった日本語に「おもてなし」があります。主に訪れた人を歓迎することを意味するこの言葉は日本人にとってはごく普通に馴染みのある言葉ですが、外国の方にとっては新鮮に聞こえたのではないでしょうか?

 私達の住む高知県のある四国にも「おもてなし」の文化でもある四国八十八か所を回るお遍路文化があります。

 お遍路文化とともに自然に溢れる四国の姿は、外国の方にとって、東京や古き良き日本の姿でもある京都とはまた違った魅力を感じられる場所として映るのか、観光やお遍路をする方が年々増えてきています。

 四国四県それぞれに形はどうであれ、お遍路さんに「お疲れ様です」という意味と、自分の代わりにお遍路をしてお参りをお願いしますという意味を込めて、お茶を出す、ご飯をご馳走する、宿を提供するなど、様々な「お接待」という名の「おもてなし」をします。

 自分は何年か前に、ある人に「人と人は会うようになっちゅう、偶然やないき必然ながやないが?」と言われましたが、その言葉は今でも自分にとっては何にも代え難い根っことなっています。

 昨日までは全然知らない人が今日この時間に知り合いになる。それは偶然ではなく必然なんだと思うと、とても面白く楽しい毎日にワクワクする自分がいます。

 自分はよくひろめ市場に行きますが、そこで色々な地域の人達と一緒になります。外国の方、東京の方、大阪の方など色々な地域の人と話をして仲良くなります。

 そして、自分なりの「おもてなし」をして、高知を楽しんでもらえるようにしています。

 自分は人と出会い、話をして自分の知らない事や場所を知る事は大切な学びの機会ですし、活字や数学だけではなく、その場や時間に生きている人との会話は唯一無二の教材だと思っています。

 これからも、一期一会の出会いを大切にして、良くも悪くも成長の糧としたいと思い、毎日を過ごしていきたいとおもいます。


4階病棟/楠瀬勇斗

 今まで私が学生時代していた部活動を一発で言い当てた人は誰もいません。それは多分、自分の体格がそのスポーツのイメージとかけ離れているからだと思ってます。なので「ラグビーやろ!」と言い当てられると実はとても喜んでます。

 小学生のころ友達はみんなドッチボールクラブやサッカークラブに入っており、自分自身もサッカークラブに一時期入っていました。同級生の男子はほとんど、どちらかのクラブで活動していたのですが、グランドの隅で細々と楕円形のボールを投げたり走ったりしている部活がありました。

 ラグビーを知ったのはその時が始めてで、なぜか「よくわからんけどやってみたい!」と思い、サッカー部を辞め入部したのを覚えてます。小学生時代にしていたラグビーは体へのタッチがタックル代わりという安全なスポーツであり、ルールも簡単であったため、毎日楽しく活動することができました。

 その後、中学校に入りラグビー部に入部したのですが、今までタックルを経験したことのない自分は衝撃を受け、そこではじめて本当のラグビーを知ることとなりました。感覚としては、全く別の競技をしているようで、恐怖心しか感じてませんでした。結局は高校卒業後まで続けることができましたが、そこで怪我をして以来ラグビーは出来てません。

 時々、テレビでラグビーが取り上げられたり、後輩の試合を観戦しに行くと、またやりたいなという気持ちになりますが、今の体格でやると大怪我をしそうなのでしばらくは出来そうにありません。土佐病院の職員の中には体格が理想のラグビー体系の方もいるので、鍛え方を教えてもらうことも出来ると思います。ですが、自分がそこまでストイックになれる自信もなく今は一歩が踏み出せない状態です。

 来年は4年に一度行われる、ラグビーワールドカップが日本で開催されます。日本ではあまり知られてないですが、この大会は夏季オリンピック、FIFAワールドカップと並ぶ世界三大スポーツイベントのひとつと言われています。なので、より一層ラグビーが注目されるはずです。高知県ではまだまだマイナースポーツなのでこれを機に少しでも興味を持ってもらいたいです。


作業療法センター/北岡真奈

 時々、「幸せに感じる瞬間はいつですか?」と聞かれることがあります。食べることが大好きな私は迷わず、「食事をするときです!」と即答します。

 小さい時から食べるのが大好きで、与えられたものは何でも食べると言わんばかりに好き嫌いもありませんでした。それはいくつになっても一緒で、学生時代のあるお昼ご飯中の出来事、友達が「もうお腹はった、真奈食べてくれん??」と言われ、「うん!食べる!」といったやりとりが毎日のように続いた日々がありました。そんな中、「真奈は何でも食べるき人間ポリバケツやね」とあだ名をつけられたこともあり、友達と大笑いしたことでした。

 ただ単に「食べることが好き」というのもありますが、気の合う友達と食事をすることでより一層美味しく、誰といつどこで食べるかも含めて幸せと感じます。また、食べることへの幸せや楽しみを感じている瞬間なのでしょうか、よく人から「食べっぷりが良いね」「美味しそうに食べるね」と言われることも多くあり、褒め言葉として受け取っています。

 食べることへの関心は人一倍持っている方だと思います。そのせいか、いつしかカフェを巡ることが趣味となっていました。私の好きなカフェは美味しいご飯はもちろんのこと、自然に囲まれた隠れ家的な居心地の良いカフェが大好きです。そんなカフェを探し求めて、休日は高知県内、東西南北問わず美味しいお店を探しに出かけています。

 数あるお店を巡る中で一番印象に残っているカフェがあります。それは四万十市にある「山みず木」というところです。少し細い山道で本当にこんなところにカフェがあるの?と思わせるような道を登っていくと、そこには外装から内装まで全て店主手造りの建物に目の前には四万十川や真っ青な太平洋が広がるカフェ。空気も景色も最高で地元食材をふんだんに使ったご飯が格別に美味しく頂けました。高知県はなんといっても自然が豊かで美味しいものがたくさんあると思います。そんな高知に生まれて良かったとカフェ巡りをする中でいつも感じます。また、カフェ巡りを通して、自分のお気に入りのカフェ本を作りたいと密かに夢を抱いています。

 人それぞれ、幸せに感じる瞬間はさまざまであると思います。改めて考えてみると、当たり前の日常の中に幸せがたくさん隠れているかもしれません。皆さんにとって幸せに感じる瞬間はどんなときですか?


3階病棟/濱田雅仁

 5歳の息子は今、ドラえもんに夢中です。彼のドラえもんをみる真剣な眼差しをみていると、ドラえもんの不思議なアイテムを現実のものだと思っているのではないかと思えてきます。私も幼少の頃にドラえもんに夢中で四次元ポケットから出す不思議なアイテムは子供ながらにあったらいいなと思っていた記憶があります。

 私は今年45歳になりますが、子供の頃から今までを振り返ってみると、ドラえもんの世界には及ばないにしても実にいろんなものが驚くほど進化し、また当時は世の中に無かったものが今では当たり前の存在になっているのに驚きます。そこで私が勝手に、ドラえもんの世界に近づいていると思われる物を振り返ってみたいと思います。

 まず電話です。私が子供の頃我が家にあった電話はダイヤル式の黒電話でした。それがやがて一人一台ガラケーからスマホへと進化しました。町中にあふれていた公衆電話も今ではほとんど見かけません。テレホンカードは今でも存在するのでしょうか。電話は通話メインの機能からインターネットを介し世界中の情報を瞬時に得ることができます。また写真や動画を送ったり、相手の顔を見ながら話すことも出来るツールになりました。社会に普及してしまうとそれほど驚くことは無いのですが振り返ってみるとすごい事に思えます。

 次に自動車です。私が運転免許を取り立ての頃は車の装備として「エアコン、パワーステアリング、パワーウィンドウ、カーステレオ」などが装備されているのを誇らしげに「フル装備」と呼んでいました。最近の自動車はぶつかりそうになると緊急ブレーキをかけてくれたり、居眠りで車線からはみ出しそうになると自動でハンドルを操作してくれたり、アクセルを踏まなくても前方を走る車に追従してくれたり、自動で駐車までしてくれたりと驚くような進化です。完全自動運転ももうすぐだそうです。さらに先日新聞でこんな驚きの記事をみました「空飛ぶ車 官民で実用化へ」。もうびっくりです。ドラえもんの「タケコプター」です。自動車が空を飛び渋滞の解消や災害時の緊急避難につなげるというのです。この先どんな未来が待っているのか想像がつきません。「どこでもドア」の実現もあるかもしれません。教えてドラえもん!


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