プラタナスの風(ブログ)
石鎚山の紅葉
3階病棟/友村真美
秋と言えば食欲や読書といろいろ浮かびますが、季節感を一番感じられるのは「紅葉」の秋と思います。「紅葉」のワードに一番敏感なのは父で、新聞に「紅葉」の記事が載ろうものなら車ですぐ現地に行こうとするフットワークの軽さです。しかし、運転が上手かった昔と違って高齢の父の運転は、母にとって不安と心配ばかり。そんな事はお構いなしに遠出しようとするので、近頃は車での遠出に私も同乗する事が多くなりました。
11月の初旬、「去年も行ったから」と両親と石鎚山の紅葉狩りに行ってきました。ネットの情報である程度分かっていたのですが、今年は去年よりも紅葉の時期が遅れています。台風&異常気象の影響なのか、紅葉の色づきも悪く、真っ赤な紅葉にはなかなか出会えません。とはいえ、やはり西日本最高峰・石鎚山の魅力なのでしょうか。紅葉目当てに観光客はどんどんやってきます。ツアー団体はもとより個人で来る人々も多く、車を停めるのも一苦労。朝早く出発して正解でした。
中腹までロープウェイで登っても、景色はカラフルとはいかず晴天なだけに残念…。下山している人に山頂の紅葉はどうかと父が尋ねていましたが、良い答えはありませんでした。ロープウェイで上がって、その先には石鎚神社成就社があります。登山とまで行かなくても、この神社まで行って折り返すのが観光の定番のようでして、今回は時間に余裕があったので途中にあるリフトに乗らず、歩いて神社を目指しました。山道の距離は長く、時間はかかりましたが道幅は広くてなだらか。うっすら黄色く色づく葉と生い茂った緑の中を歩いていると、「まるで天狗高原のセラピーロードを歩いている様だ」と、両親は大変喜んでいました。私は神社に来たのが初めてだったので、参拝してから初おみくじを引いてみました。結果は…なんと「大吉」! これから何かイイことあるかも!?
この日は、「石鎚もみじまつり」の最終日前日で、神社の境内では大勢の修験者が、ほら貝を吹いていました。下山はリフトに乗って帰ろうと乗り場を目指して歩くと、急な階段と急なこう配の道だらけ。歩く距離は短いのですが、足腰の弱い両親には大変堪えたようで、帰りに吾北むささび温泉に入って疲れを癒しました。
綺麗な紅葉は見られませんでしたが、広大な景色を眺めて、ゆっくり山散策(運動)をし、マイナスイオンもいっぱい吸ってリフレッシュできました。日帰りドライブの参考に、皆さまいかがでしょうか?
私の好きなこと
栄養管理室/右城奈知
私の好きなことは沢山あります。旅行が好きでその段取りやスケジュールを立てるのも好きです。必ずアクティビティも交えて旅行します。ここ1年でいうと、パラグライダー、ダイビング、カヌー、ラフティング、気球に乗ったりしました。元々スポーツが好きで時間があったら友人と体育館を借りて、バレーやバドミントンやバスケをしたり、ダイエットがてら水泳をしたり、涼しい時間帯には歩きに行ったりしています。
なかでも一番好きなことは、アルバムを作ることです。最近では滅多に撮らなくなりましたが、プリクラを貼り付けたり、その時撮っていた携帯の写真を現像して一緒に貼り付けて、その日起こった出来事を書き、シールやペンなどで、1ページ1ページ時間をかけて完成させて満足しています。なので自然とシールやペンを買い漁るようになり、それに加えて画用紙や折り紙も買っているので、文房具屋さんなのかな? とたまに思うほど大量になっています。
撮った写真や、旅行先で貰った思い出のチケット等を全て、月ごとにファイルに入れて、作業しやすくしています。収納にもこだわっていて、シールやペンも見やすく取りやすくする為に、仕切りのある箱を買って種類別に分けています。デザインも1ページごと違うようにしたいので、本などを読んだり、ネットで検索して学んだりしています。やり始めたらご飯を食べなくても、トイレに行かなくてもいいぐらい永遠に好きなことに没頭できます。
その他にも植物や動物に触れ合うことが好きで、幾度となく植物園や動物園に行っています。植物はあまり詳しくないですが、動物の生態を知りたくて勉強したりしています。実際にうさぎを飼っていて、とてつもなく癒されています。親バカなんですが、確実に私に懐いています。癒しといえば、音楽を聴くことも好きで、昔の曲から最新曲まで幅広く聴いています。色んな曲を知るためにネットでの情報は欠かせないですね。
ここには書ききれないほどやりたいことが多い私ですが、ありすぎて全部が中途半端になってしまい困っています。皆さんの好きなことを教えてほしいです。私と同じように好きなことがありすぎる人いませんか?
魅惑の和生菓子
1階病棟/小松美智代
約30年前、大阪府池田市で和菓子と出会う。当時住んでいた池田市は茶所京都にも近く、女子寮から通う私の周囲には、仕事帰りに茶道や華道などといった習い事をしている人が多かった。ご多分に洩れず、私も茶道教室に通い、毎回供される和菓子を楽しみにしていた。時には、高知土産の“土佐日記”が、時には富山県の“薄氷”という名前の菓子が出された。一番好きだったのは、上生菓子と呼ばれる練り切り製のものだった。練り切りは白餡に餅粉と砂糖を混ぜ1時間ほど火入れしながら練り上げて作った菓子生地で上生菓子そのものを指していうこともある。賞味期限は1、2日と短く、素朴な甘さが渋いお茶に良く合う。
時を経て、昨年、和菓子店主から“寒椿”という上生菓子作りを習った。すでに用意された練りきりを、粘土遊びのように成形するだけだったが、初めての体験! 掌で餡を包み、白と朱の花型に黄色い花芯と緑の葉をあしらう。そうっと黒の台座に乗せて透明の蓋をすれば、何とも愛らしい“寒梅”モドキが完成した。割ってみると、白餡が片寄っていて、お世辞にも上手い出来ではなかったが、それなりに風情が感じられた。以来、和菓子作りにハマってしまった。
和菓子の最大の特徴は、「七十二候(しちじゅうにこう)」という季節を表現することにあるという。古来より1年を72もの季節に分けており、店頭には、季節の移ろいと共に様々な和菓子が並ぶ。立秋の頃はまだ暑く、透き通った寒天や葛菓子が涼やかに並ぶ。そして、各々には、「初萩」、「観世水」などといった菓銘がつけられており、その響きは、一瞬の季節を切り取ったかのように、鮮烈な印象だ。
作り手は、菓子を手に取る人を思い、自身のメッセージをこめたり感性を作品に表現する。興味深いことには、伝統的な形と製法がある一方で、職人の感性と技術により、そこにしかない新たな菓子が日々生まれているということだ。例えば、夕暮れの川面に映る夕日を色と形で表現したものなど多彩で創造の自由があることに驚く。
“ご飯なう(今、ご飯中)”東京に暮らす食いしん坊の息子からラインが届く。よしよし、元気ってことね。学生最後の夏休み、おかぁちゃんが、習いたての和菓子を作るね。たまにはゆっくり家族でほっこりしようや。
かくして、この熱はしばらく続きそうな気配である。
新緑の日曜市雑感
デイケア/和田敏子
先日のTV番組で、高知の日曜市の紹介をしていた。日本一の城下市が追手門からまっすぐ東に延びている。大きなクスの木の木陰に沿って片側2車線を東西に1?程、約400もの出店数は、まさに日本一の市である。市の誕生は江戸期、元禄3年(1690年)ということから、まさに庶民の生活市として300年以上もの長い歴史があり、土佐の誇りである。
午前の用事も終わったことだし、そうだ!久しぶりに日曜市をぶらぶら散策してみようと、急に思い立ち高知城の近くにバイクを止める。追手門からスタート。左側にはクスの木の緑が風になびき、気持ちが良い。来て良かった。右に古物や打ち刃物、左に大好きな山野草や季節の花の苗木が並んでいる。そういえば15年程前に購入した庭のハナミズキも、今は4〜5mの高さになり、春にはさわやかな白い花に心も和む。今は萌黄の葉も瑞々しい。北側には娘が6年間通っていた学び舎があるが、母として催事に行った記憶も薄い。その頃、4年間看護学校に通っていた私は、娘に家事の手伝いもしてもらい、家族にも我慢をしてもらったこともあっただろうと今に思い、感謝する。そんな過去のことを思っていると、早くもオーテピアの角の信号に差し掛かった。今人気の芋やさんの前には行列が出来ており、TVで放映していた通りだ。以前と異なり、最近では金髪の外国人夫婦や、台湾・韓国・中国等の異邦人も多く、新港が出来て観光客が増えたこともあるようだ。一日17000人もの人が行き交うという。また、日曜日ということもあり、県外客らしき人の方言も、受け答えから聞き取れる。面白いのは、外国人が自国語で問いかけ、おばちゃんが土佐弁で答え、双方、頷き合っているが、果たして解っているのかな? などとつい思ってしまう。
今の変わりゆく世の姿を江戸時代の人々が観たら、びっくり仰天だろう。お城下の日曜市周囲のビル街、アスファルトの路面、行き交う車、スマホを操作して歩く人々etc...。つい想像してしまった。
両側の店の野菜や果物、花苗等を見ていると、早くも終点(?)いや、日曜市1丁目の端、駅前電車通りまで到着した。復路でこれと決めていたラッキョウや魚の乾物、花苗を購入し、帰路につき、元の日曜市6丁目にゴール。バイクを走らせていると、今は亡き母と日曜市に行き、帰りに母の荷物を持ち帰ったことなどを懐かしく思い出し、胸が熱くなってしまう。
さあ…、家に帰ったら花を植え、ラッキョウを漬けよう…。忙しいよ。
母の入院
2 階病棟/大原英
去年の暮れ実家に帰ると、母が「右手の小指と薬指が曲がって伸びなくなった」と言いました。その後クリニックを受診し私に電話をかけてきました。「筋が切れているから良い先生に紹介状を書くと言われた。病院に連れて行ってほしい」と頼まれ勤務調整をして頂きました。紹介病院へ母を連れ受診するとやはり2本の指の腱は切れていました。原因は分かりませんが、手首の骨が異常に突出しそのために腱が擦り切れたと思われます。手術をしなければ治らない、このまま放置すれば4本とも切れるおそれがありますと説明を受けました。もともと膝が悪くびっこをひいて歩いていた母は、知人が最近膝の手術をしたことをきっかけに自分もしたほうがいいか悩んでいましたが、長期間家をあけることになるため決断できなかったのです。しかし今度ばかりは利き手が使えなくなると言われ、迷っているわけにはいきません。淡々と手術日が決まり、どのくらい入院になるのか母が尋ね、1.5か月くらいだと言われました。診察室を出たあと母が「さぁ困った。どうしよう。2週間ばぁで帰れんかな。とと(父)は何とかなっても問題はアンちゃんよ」と言いました。
私は高校卒業してすぐ親元を離れ、弟も結婚し家を出ていますので過疎化の進む田舎に両親のみで生活しています。81歳の父は畑仕事をするほど元気なのですが、昔ながらの男性といいましょうか、下着の置き場所も知らない家事全般を母に頼っています。田舎の家は鍵がなく開け放題で、よく野良猫たちがやって来ます。野良猫が子猫を産み隠していたため発見した時は目が開いて処分する気になれずそのまま飼っています。アンちゃんとはその中の一匹、部屋の中で飼い母と寝起きを共にしています。この猫がまた母にしか懐かず他人を見ると姿を隠します。部屋から一歩も出したことがないそうです。母にとっては我が子同然で、父の事よりさらに悩んだようです。父には世話を頼むことができません。
手術日前日に入院しました。父には炊飯器と洗濯機の使い方を教え、知り合いのショッピングカーに毎日おかずを届けてもらうように頼んできたと言いました。アンちゃんについては1週間分の水と餌を構え、部屋中にオシッコの砂を敷いてきたと言う。あとは弟の嫁さんに休みの日に見に行ってもらい水とキャットフードを与えてもらうよう頼んだとの事でした。「この際、部屋中が臭くなっても仕方がない」と笑いました。こんなとき、弟には頼まず嫁さんをあてにします。そうして無事手術が終わり、入院期間もあっという間に過ぎました。2週間ばぁで帰ると言っていた母もいざ入院すると入院生活が楽だったのか早く帰るとは言いませんでした。父の方が早く帰れとせかしていたようです。アンちゃんは嫁さんが少しだけ姿を見ることができたようで(部屋の隅で固まっていたそうです)安心したようです。
今回の母が入院した出来事は両親のこれからの生活についていろいろと考えていかなくてはならないことを思い知らされたことでした。