プラタナスの風(ブログ)
水生植物と過ごす夏
4階病棟/勝賀瀬久美子
きっかけは去年の6月、薊野のハマート店頭。いくつかの立ち葉の間に蕾を一つだけ揺らしている、八重茶碗蓮の苗との出会いからでした。
世はコロナ禍の真っ只中、ステイホームが呼びかけられ、この機会にガーデニングを始めた方も多いと聞きます。我が家は田舎の一軒家、植物を植えるだけならばいくらかのスペースはあります。とはいえ、さすがに池があるわけではありません。ハスは水中に根を張り、泥の中から葉を伸ばし花を咲かせる生物です。寺社や公園の大きな池を想像し、どんな条件ならばこの花を手元に置けるのだろうとため息をついたのが一年ほど前のこと。
ハス苗の実物を見かけたことで、その意識が変わりました。難しそうに見えるハスの栽培ですが、調べてみると希望が見えてきました。水を溜められる容器、赤玉土と腐葉土、化成肥料を用意し、苗を傷つけないように植え込んだあとはなるべく日当たりのよい場所へ置く。そして水を張り、切らさないように足し続ける。水やりの失敗では、花を枯らせてしまうこともよくある私ですが、これならば不安はありません。その他にもおおよそ10日ごとに肥料をあげたり、破れたり萎れた葉を切ったり、終わった花を取り除いたりの作業もありますが、これらは休日にまとめてやっても大丈夫。お手軽とまではいきませんが、じゅうぶん実行可能な仕事でした。
育てながらもっとよく調べると、高い陶器の鉢を買う必要すらありませんでした。プラスチック製の軽く扱いやすい睡蓮鉢もありますし、底に栓があるタイプのプランターや、100均のバケツでも育てられるそうです。遠い観光地の広大な池でしか見られないと思っていたハスの花は、想像よりもずっと身近に、手元で咲かせることが出来る存在だったのです。
ハスの魅力は育てやすさと花の艶やかさ以外にも豊富です。ツンと尖った芽が出てきたかと思うと、数日でぐんぐん伸びて葉が開きます。小さな蕾が水面に顔を出した日は嬉しくて、母が裁縫に使う竹の定規を借りて、朝夕に伸び具合を測った時もありました。一日ごとどころか、朝と夕でも5センチ近くの変化があります。極めて早い成長のおかげで、毎日眺めても飽きることがありません。また、花は朝早く開き、昼過ぎには閉じていきます。美しい姿を見たさに早起きが習慣になりました。
一株の八重茶碗蓮から始まり、我が家には今、ハスがもう2種類と、耐寒性スイレン、熱帯スイレン、ヒシ、アサザ、ヒメガガブタという水生植物が増えました。毎朝庭のどこかで、ピンクや白、黄色の花が咲いています。夕方家に帰ると、今日閉じた蕾を眺めながら明日咲きそうな蕾を探す楽しみもあります。日々表情を変える花々は、私の毎日も明るくしてくれています。
いずれはもっと多くの種類を育ててみたいものです。
二年ぶりの運動会
相談支援室/小松由季子
毎年子供達の一生懸命な姿が見られる運動会が、去年はコロナウイルスが流行始めで、学校も休校になり、授業数確保のため、私の子供が行っている小学校では運動会がなくなってしまった。
今年も警戒レベルが赤になれば無観客での開催になる案内で、ギリギリまでできるかどうか、それにプラスして晴れなのか、雨なのか、とても早い梅雨入りのおかげで天気も気になっていたが、子供達の日ごろの行いがよいのか、とっても良い天気(暑すぎるぐらい)で無事家族2名まで入場可能という形で開催することができた。
競技はひと学年午前中、午後とも1つでそれに加えて低学年、高学年の綱引きや代表リレーなどが行われた。時間は短縮され、楽しみにしていたダンスや6年生の組み立ては友達と触れ合うのを避けるためなくなった。
私の子供は5年生と3年生で、最初の競技は下の子の100m走だった。前回見たのが1年生の時だったので、保育園から1年生になりたてほやほやでどれぐらい走れるものだろうと思ったが案の定、皆に手を振りながら走るんじゃないだろうかと思うような可愛らしい走りだった。その記憶がまだ鮮明な今年。親としてはとても不安だった。息子は「僕1番やき!」と言い張っていたが私の心は「いや、無理やろう…」と思っていた。が、息子は早かった。いや、走るメンバーが良かったのか(?)息子の言ったとおり1番だった。日頃、外で全く遊ばないのを知っている私としては「何故?」と言う気持ちが半分、嬉しい気持ちが半分、不思議な気持ちだった。
午後の部最初の競技は娘の100m走だった。娘は去年からバレーボールを始めたので、ぶよぶよだった体がどんどんしまってきて、今年は代表リレーにも選ばれた。私は彼女の走りをとても楽しみにしていた。しかしスタートは遅かった。反応が遅い。ただ、追い上げがすごい。みるみるうちにカーブのところで皆を抜かし、1番でゴールした。これはすごい成長だ。去年運動会がなかったのがとても残念に思った。
最後は高学年の代表リレーだった。娘の番が次になり私のほうがドキドキすると思いながら走り始めたのだが、今度はスタートが早くてバトンをもらうのがだいぶ先になっているように思えたが、バトンも落とさず受け取ることができ、ぐんぐん差をつけあっという間に走り抜け、次の人にバトンを渡すことができた。
「練習では今年は白が強いがよ。全然勝てれん」と言っていた二人とも赤の子供達。運動会当日も白と赤の得点差は20点もあいて、やっぱり白が勝つのか…とどの親も思っていたが、低学年・高学年とも代表リレー1位は赤だったので、なんと逆転勝利を果たした。“最後まで諦めない心!”それを子供達から教えてもらった。
オカルト好き
3階病棟/横山 宣
世の中には、UFOや都市伝説、予言や陰謀説等々数多くのオカルトがあり、その筋の情報を日々待ちわびている人も少なくはない。私もその一人であるが、今回自分自身長い間気になっているオカルトについて好き勝手に解釈してみたので挙げてみる。多少の共感を得れたらと思う。
1.パラレルワールド
パラレルワールドは現世と並行したもう一つの世界と言われているが、その解釈は私も同じである。ただし、私はそれにプラスして時間のズレのようなものもあると感じる。人生には選択の場が幾つもある。どうでも良さそうな些細な事から、その後の人生に影響を及ぼしかねないような重大な事まで数多く、毎日何かしらの選択を行いながら人生は進んでいく。
何気に選択している中で、『前にも同じ状況で同じ人に同じことを言った』とか、『この人次にこう言うはずだ』とか初めて来た場所なのに何故か知っているとか、そういったデジャブはパラレルワールドと関係しているとも言われている。ここで自分なりの解釈をしてみると、私は今45歳だが、こういった経験は若い頃に多く、ある程度の年齢からあまり経験しなくなったような気がする。それは、脳神経の発達時期と関係しているのではと考えている。脳神経の発達は6歳には90%程度、10代半ば〜20代前半で完成すると聞いたことがあるが、まだ若く経験値が少ない為、新しい情報を処理している中でいわゆる『バグ』を起こしてしまっているのではという解釈に至っている。
2.夢
何故夢を見るのか…。一般的には情報の整理であったり、ストレスをリセットするため等諸説あるが、いまのところハッキリとは分かっていないのが現状らしい。
私は、この『夢』に関しても脳神経の発達や衰退が関係しているのではと考えている。若い頃には良く夢を見たがここ最近はあまり見ないように思う。睡眠の質も関係しているのかもしれないが、確実に減っている。私が見た夢の中で強烈過ぎて忘れられないものを挙げてみる。20代の頃に見た夢で内容は覚えていないが、あまりにも面白くて寝ながら大爆笑をしてしまい、笑っている自分を自覚して目が覚めたことがある。逆に、祖母が亡くなった夢を見た時は寝ながら声を出して号泣し、泣いている自分に気付き目が覚めるということもあった。夢を見る理由は兎も角にも内容については何を意味しているのか、どう解釈してよいのか全く分からない。
今回、自分の解釈では共通して『脳』が起こすものとして挙げてみたが、人の身体についてはまだまだ未解明なものが多い。オカルト目線は捨てきれないが、こういった事が科学的に早々に解明される日が待ち遠しい。
ちいさな手
薬局/中城由紀
昨年12月に一緒に暮らしている兄夫婦に待望の第一子が無事生まれました。色の白い可愛い女の子でした。世界中がコロナに包まれ心苦しい毎日に、パッと光が差し込んだような出来事でした。生まれたばかりは面会も禁止でやっとの思いで会えたのは1週間後、退院してお家に帰ってこれた日でした。
初めて顔を直接見たときは、ぐっと目頭が熱くなりました。初めてかけた言葉は「こんにちは」だったような気がします。そんな日から1か月半ほどが過ぎましたが、学ぶことや想うことがたくさんありました。いつもはスヤスヤと本当に静かに寝ていて、大丈夫かな?! と心配になることもありましたが、ピギャー! と泣き出すと体全身から声が出てるんじゃないかと、思わず笑ってしまいました。初めてお風呂に入った日は、私も母もなんだかソワソワしました。
なかなか泣き止まない赤ちゃん。「こんな時はミルクじゃなくて、白湯がえいよ」とアドバイスをする母が何だかヒーローに見えました。孫を抱くおばあちゃんになった母を見ていると、自分がどれだけ大切に育ててもらっていたかを痛感しました。優しそうに赤ちゃんを見つめる義姉や、仕事が終わって半分寝ながらでも赤ちゃんを抱きしめている兄を見ていると、人は皆勝手に大きくなった訳じゃなく誰かの温かい手で育ててもらったから今があると、大きくなった自分の手とまだ小さな小さな赤ちゃんの手を見比べて、そう思いました。
皆様のご家族や身の回りに赤ちゃんがいる方は、今本当に慎重になっているかと思います。妊婦さんや最近赤ちゃんが生まれた方が抱えている心配やストレスは深刻です。そんな方々の為のサポートセンターや相談室が、市で設けられていることをテレビで見かけました。コロナウィルスが世界中に広まって私自身も考え方が変わりました。日本中からマスクがなくなったり、不要不急の外出は禁止、飲食店の時短要請。たくさんの情報に考えを右に左に流されたこともありました。今まで出来ていたことや、いつもだったら会えていた友人や家族にも会うことすらも、もう当たり前ではありません。私の友人も楽しみにしていた結婚式が無くなり本当に落ち込んでいました。
誰のせいでもなく、“今はしょうがない”の一言で我慢しなくてはならないこともたくさん増えました。あとどのくらいで今までの日常が戻ってくるかは誰にもわかりません。今できることや、日本中、世界中の人々がひとつになって頑張るときではないか思っています。ただ、このような毎日でも何かできること、以前の日常とは変わったからこそ気付ける事があると思います。私も毎日小さな幸せを当たり前じゃないと思うようにしています。
小さな力でも皆で頑張れば大きな力になると思います。しばらくは変わらない日常ですが皆様も過ぎていく毎日に、当たり前ではない幸せを探してみてください。
ささやかな幸せ
1階病棟/森 大樹
2020年ももうすぐ終わろうとしています。今年は、新型コロナウイルスの影響で自粛ムードが広がり私達の日常が大きく変わった年になりましたね。みなさんは、自粛ムードの広がった中で、どのように過ごされましたか? 私は、これまでのように友人と気軽に会うことができず、また、遠くに出向くことも気が引けるので、せっかくの休日も退屈な時間を過ごしていました。
そんな中、ある日、退屈な日常を変えた出来事がありました。それは、友人からのテニスの誘いでした。その友人は学生時代テニスの経験は無く、社会人になってからもテニスを始めたというような話を聞いたことがありませんでした。私は友人の誘いに驚きましたが、「折角だし、最近ちょっと運動不足かな?」と思っていたので、「やろう!」とその気になりました。
まずは、道具を揃える所からでした。友人から「ラケットとシューズ買うき付き合って」と頼まれ、私も必要なものを買うことにしました。中学生時代はソフトテニス部に所属していましたが、硬式テニスとソフトテニスでは道具が異なるため、私自身も手探りでした。ボールやグリップ、シューズなどを選んでいる時は、なんだか中学生になって初めての部活動に臨む気分でした。両親と道具を揃えにいった時の気持ち、「これからやるんだ!」という高揚感、ワクワクに溢れていた少年時代を思い出しました(笑)。
さて、実際にテニスを始めてみると思っていた以上の楽しさがありました。ソフトテニスより重いラケットで硬くて重たいボールを打つと、想像よりも打球が飛び、スピード感のある打球が相手コートに入ります。相手が打ち返してくる、それに応えて打ち返す。今までにない感覚であり、新鮮でした。基本的なルールはテニスもソフトテニスもさほど変わらないのですが、グリップの握り方が違ったり、バックハンドの打ち方が異なっています。やればやるほど硬式テニスの奥深さを感じて、もっと知りたい、できるようになりたいという気持ちが強くなりました。
今、テニスの時間が私のささやかな幸せになっています。こういった時間があることは、気持ちをリフレッシュさせ仕事にも良い影響を与えてくれると信じています。
みなさんには、ささやかな幸せを感じる時はありますか? ある方は大切に、今はまだないという方も私と何か新しいことに挑戦してみませんか?