プラタナスの風(ブログ)
文化祭を終えて
秋も深まる中、第40回文化祭を11月5日に開催しました。今回は準備の段階から天候にも恵まれ、
たくさんの方にお越しいただけたことに、喜びを感じました。
40回目の文化祭にあたり約半年前に「LINK?みんなでつなぐ?」のテーマを決め、取り組むなかで、職員、患者さん、ご家族、地域の方々、関連施設のみなさまとのつながりを強く感じ、そのつながりをさらに強める場となるようにという思いで進めました。
新たなつながりとして、土佐中学校・高等学校の美術部による作品展示、オーケストラ部による演奏、落語家の淀家萬月氏をお招きすることができました。
イベントでは園児のお遊戯に心を癒され、土佐中学校・高等学校の素晴らしい演奏で感動し、淀家萬月氏の落語ではお腹の底から笑うことができ、楽しい時間を過ごせた方も多かったのではないでしょうか。
大満足の家族旅行
私が土佐病院に就職して今年で20年になり、永年勤続表彰で旅行券を頂いたので、子どもの夏休みに合わせて数年ぶりの家族旅行へ出掛けることができました。
1日目は姫路セントラルパークへ。まずはサファリパークで放し飼いにされているライオンやトラなどを間近で見ることができ、子ども達も大興奮。真夏の炎天下だったので、動物たちも日陰でぐったりしていましたが、それでも至近距離で見るライオンやトラはとても迫力がありました。
次は遊園地へ移動し、子ども達は人生初のジェットコースターに挑戦!! 子ども達が「こわくない!?」と尋ねるので「大丈夫よ!!」と答えたものの少々不安だった母…。いざ乗り込みガタン…ガタン…と上がって行き急降下!!長女は顔がひきつり、次女は笑顔。日頃から性格の違いを感じていましたが、こういう場面でも表れるものだなあ…と思った事です。
2日目は大阪へ行き、海遊館へ。平日でしたがすごい人の数で、子ども達から「見えん…」とブーイング。それでも下の階へ行くにつれ混雑も解消し、子ども達も満足顔になりホッとしたのでした。
その日の夜は今回の旅行のメインでもあったシルクドソレイユのトーテムを観に行き、数々のアクロバットを見て、子ども達も「すご?い!!」と拍手をしながら大喜びで観ていました。
最終日の3日目は「吉本新喜劇」。日頃からテレビで観ていて、生で見られるのを子ども達もとても楽しみにしていたので「まだ始まらんが!?」とワクワク。しかも、席が最前列の真ん中。幕が開き、まずは西川きよしの漫談からスタート。大人にとっては面白かったのですが、4歳の次女には少々難しかった
ようで、そのうち主人の扇子をおもちゃにしてパタパタとやっていると、西川きよしにツッコミを入れられ、本人は全く気づいていませんでしたが、親にとっては印象深い思い出となったのでした。その後も何組かの漫才や落語があり、いよいよお待ちかねの新喜劇がスタート。やはり、テレビで観るより生で観る方が面白く、子どもも私も大満足で劇場を後にし、子ども達は「もう1回見たい!!」と言っていました。
大阪へ行く機会があれば、吉本新喜劇をぜひお勧めします。涙が出るくらい笑えますよ。
保育室/青木理砂
笑顔いっぱいの敬老会
「敬老の日」の9月19日を中心に地域や各種施設では敬老会が開催されます。当院でも9月16日に、お年を重ねてこられた方々を敬愛し長寿をお祝いする敬老会を催しました。当院の最高齢は男性85歳・女性92歳です。敬老会の対象は70歳以上の患者さんで、各病棟とデイケア合わせて60名の方々に参加していただきました。
開会のセレモニーでは副院長から健康で長生きを祈念するごあいさつをいただきました。引き続き脇看護部長より各病棟の代表者に記念品をお贈りし、一人ひとりに一言お祝いの言葉を添えていただきました。
昨年と違った取り組みとして、「久寿玉割り」をプログラムに取り入れました。企画担当職員数名による手作りの久寿玉は上出来で、割れて出てきた「祝、おめでとうございます。」の文字に会場が盛り上がりました。また、希望される方々にお化粧をさせていただきました。中には「20年ぶりです。」という方もおられ、薄化粧のお顔を鏡で見て、喜ぶ光景もありました。
プラタナスに集った納涼祭
8月25日、平成28年度土佐病院納涼祭を開催しました。病院の新築などに伴い、変則的な開催から本来の納涼祭ができたのは実に5年振りのことでした。
今回の納涼祭はこれまでとは違い、特徴のある企画を行いました。まず1つ目は開催場所です。外来正面玄関前広場に飲食スペース、出店を準備し病院のシンボルであるプラタナスの樹を中心とした会場設営を行いました。新築してから初めて使う場所で、広さや雰囲気も良かったと思います。来場した方から「伝統あるプラタナスのもとに集えることを嬉しく思う」といった声も聞かれました。2つ目は雰囲気作り。メイン会場の周囲に90個の提灯を取り付け、18時頃から点灯しました。「夏祭りの感じが出ていて良かった」とこちらも好評で、雰囲気作りに一役かってくれました。3つ目はたくさんの患者さんに浴衣を着てもらうこと。浴衣選びから納涼祭を楽しむことができ、会場では提灯の明かりに浴衣姿が良く映えていました。また、ビールの販売も復活しました。皆さん楽しみにしてくれており、美味しそうにビールを飲む姿や表情が印象的でした。
田舎の学校
私は、小学時代に6度の転校を経験し、県内で一番生徒数の多いマンモス校から田舎のアットホームな学校まで、いろんな学校に通ってきた。
中でも面白かったのが、大豊町にある山奥の学校だ。
その学校は、今となっては珍しい木造校舎。全校生徒5人。姉と私が転入し、7人となった。
まず新鮮だったのは、合併教室だ。転入後、 姉は同学年の生徒がおらず、私と一緒のクラスになった。毎日、同じ教室で一人の先生が2学年の授業を同時並行して行っていた。大好きな姉と家でも学校でも一緒に居られて、 毎日楽しくて仕方なかった。
夏になると水泳の季節だが、田舎はプールの準備も大変だ。掃除の前に大仕事があるのだから。それは、水底に住み着いているヌシ、 ガマガエルを追い出すこと。その地域では、 両手大以上もある特大のガマが道の真ん中に佇み、車の通行を邪魔していることが多い。 そして彼らは、安心安全な学校のプールを格好の住処にしているのだ。毎年、プール開きの日はスコップを片手に全校生徒数名が集合し、ガマをスコップに乗せ畑への引越し作業を行っていた。
田舎の学校では、授業も自然を生かした授業が多い。夏は何かと理由をつけて川へ行ったし、冬は大雪が降るため雪遊びの日が多い。春や秋は裏山や地域の人の畑で授業をすることもよくあった。そして授業が終わる と、全員が吉野川へ駆けて行き、サバイバルゲームやかくれんぼ、鬼ごっこなど川から山を走り回って遊んだ。クタクタになって帰る と、薪で焚いたアツアツの五右衛門風呂が用意されており、祖母と一緒にワイワイ言いながら一日の疲れを取るのだ。
結局、2年足らずで再び街の方へ引っ越すこととなり、残念ながら、私たちが出ていって間もなく学校は廃校となってしまった。しかし、ドがつくほどの田舎で過ごしたあの日々は、昭和の時代にタイムスリップしたようで、私の中でいつまでも輝いている。
昨年、久しぶりに学校を訪れてみた。窓から教室をのぞいてみると、なんと床に畳が敷き詰められていた。どうやら、「みどりの時計台」という名の観光宿泊施設になったようだ。母校が、廃校になっても尚その形を維持し、更に宿泊して懐かしさを存分に味わうことができるなんて、こんなに嬉しいことはない。いつか、一緒に学んだ友とともに母校で合宿をしてみたいものだ。
相談支援室/渡邊紗織