プラタナスの風(ブログ)

栄養管理室/大西彩奈

 私には10 年くらい前から好きなアーティストがいます。中学生の時にそのアーティストを知り、高校生の時に大ファンになりました。人生で初めて買ったCD もその人たちでした。それから社会人になり、好きになってから5年目にして初めてライブに行くことが出来ました。

 当時は愛知県に住んでいましたが、愛知県でのライブには行けず、隣の三重県へ一人で行きました。人生初めてのライブにしかも一人で行くことになりとても緊張していましたが、その緊張を吹き飛ばしてくれるほど楽しかったのを覚えています。それからは年に一回ライブに行けるようになり、とても充実した日々を送っていましたが、4年ぐらい前から一緒に行ってくれる友人ができました。

 その人は元々高校の時の友人で卒業してからは会っていませんでしたが、あるきっかけで連絡をとるようになり一緒にライブに行くうちに段々とハマっていって今では二人で楽しんでいます。一人でも十分楽しかったのですが、やはり二人だと色々なことを共有することができとても嬉しいです。その友人のおかげで前までは一人だから、とあきらめていた場所でのライブにも行けるようになりました。昨年は二人で行ける所を相談しながら、東京、大阪、愛知、香川、高知と各地のライブに行ってきました。でもそれでは終わらず、夏フェスへも行くことを決めて、8月には香川で行われている「モンスターバッシュ」へ行き、9月には富士急ハイランドであった「オーガスタキャンプ」に行きました。一人では絶対に行くことができなかったので、友人にはとても感謝しています。

 そしてその友人にはもう1つ感謝していることがあります。今までは1組のアーティストしか興味がありませんでしたが、別のアーティストも好きになり、今年の3月には東京へ、ライブではなくイベントへ行ってきました。やっぱり生で聴く歌声には言葉では言い表せないような感動があります。

 そして今年もすでにツアーが始まっていて、4月には愛知へ、5月には香川、高知とツアーを回っています。まだまだ予定があるのでこれから楽しい日々が待っています。最近、家族に「行き過ぎじゃないか」とあきれられていますが、私はやめる気は一切ありません! これからも全力で楽しんでいこうと思います。こんな幸せな時間がずっとつづきますように…。



看護部/清藤高弘

 ここ数年、ロードバイクに乗っている人を見かけることが多くなりました。ロードバイクとは、舗装路での高速走行を目的に設計された自転車です。前傾姿勢で風の抵抗を抑えたり、細いタイヤで路面との摩擦を抑えたりと、スピード重視の設計になっています。
私がロードバイクを始めたのは、先輩看護師からの誘いと、友人が始めたのがきっかけです。友人に聞いたりインターネットで調べて一目惚れしたロードバイクを購入しました。初めて跨ったときは、足も地面に着かずバランスを取るのも難しく、サドルは細く硬いため股が痛かったです。

 初めは30〜40kmの距離を先輩看護師と2人で走行しました。“ママチャリ”と違い、軽くペダルを漕ぐだけでスピードが出るので驚きと同時に風を切って走る気持ちよさを感じました。走り始めて20km地点くらいまでは楽しかったのですが、後半は股や手の痛みと疲労が襲ってきました。走り終えた後は痛みと疲労はあったものの、また乗りたという思いが大きかったです。その後も休みの日は何度か1人で走っていましたが、他の先輩看護師に「遠出してみたら?」と言われ、高知市内から奈半利駅までの片道50kmに挑戦しました。友人と走る予定でしたがなかなか休みが合わず我慢できずに先に1人で走ってしまいました。行きは楽しく颯爽と走れたのですが、帰りがかなり辛かったのを覚えています。初めて乗ったときと同じ股や手の痛みに加えて腰痛も起こり四苦八苦しました。数日後友人と走ったときはコミュニケーションをとりながら、楽しく走ることが出来ました。

 ある日、友人がサイクリングイベントに参加した話を聞き、私も参加したくなりました。しかし、近場でのイベントがなく乗る機会も減ってきていました。そんな時、雑誌に四万十・足摺地域を自転車で駆け抜けるイベント、「四万十・足摺無限大チャレンジライド」の参加募集の記事を発見し、すぐさま友人に声をかけ2人で参加しました。コースは108.7kmのショートコースで少しアップダウンがありました。朝8:30頃スタートで3月だったこともあり空気が冷たく感じられました。走り出すと体も温まり風の冷たさが気持ちよかったです。

 スタート時はワクワクしながら走っていましたが、竜串を過ぎた辺りからアップダウンが増えました。特にふれあいぱーく大月の手前にある坂が難所でした。曲がり道のある坂で、あと「少し上れば下りが来る」と思い上ると下りではなくさらに上りで、それを見たとき、「地獄だ」と思い何度も心が折れそう
でした。しかし、ここで降りて休んだら負けだと自分に言い聞かせ、スタートから約6時間48分後にゴールをすることができました。ゴールしたときは言葉にならない達成感と充実感を得ることができました。

 ロードバイクを始めて私は普段得られることのない達成感や充実感が得られ、忍耐力も鍛えられていると思います。特に四万十・足摺無限大チャレンジライドでは鍛えられました。今後も乗り続け、次は「サイクリングしまなみ」に参加したいと考えています。


ホームますがた/小松佐弥佳

 寒い時期になると思い出すことがあります。それは小学、中学、高校の授業であった持久走です。私は持久走が嫌いだったので、いつもどうにか持久走が無くならないか、雨が降って無くなればいいのにと思っていました。しかし、いくら願っても中止になることなく、また、中止になっても後日走らなければいけないと知り、うなだれて走っていました。

 そんな私でも、1度だけ持久走をやってよかったなと思うことがありました。それは、中学校の頃にあった大会です。学校主催、全員参加で高知城の周辺を走りました。どれくらいの距離だったか覚えていませんが、いつもの持久走以上に距離があり、途中何度も歩きました。しかし、ゴールしたあとに食べたトン汁か味噌汁か、とにかく温かいお汁がほんとにおいしく、初めて頑張って走ってよかったと思えました。全員が走り終えた後、歩いて中学校まで帰りましたが、走り終えた充実感と達成感で疲れを感じず、学校まで帰ることができました。その大会は3年に1度しかなく、その後、高知城の周辺を走ることはありませんでしたが、今思い出してみるとあのお汁と達成感のためならもう一度走ってもいいと思えるほど、充実した時間となっていました。

 その後、持久走が好きになったかと言うと嫌いなままでした。なぜなら翌日に辛いつらい筋肉痛が襲ってきたからです。

 今でもこの時期に学校の近くを通り、持久走をしている生徒を見つけると、寒い中辛いよな、と少し懐かしく思いながら通り過ぎていきます。

 学生の頃、先生に何度も言われていたことですが、社会人になって実感したことがあります。授業で持久走を行う意味は、体力をつけることで風邪をひかないようにする為だということです。私は学生時代、部活動もしていたため体力には自信があり、ほとんど風邪をひくことのない健康体でした。しかし、高校卒業後、体を動かすことなく過ごしたため体力がなくなり、風邪をひくことが多くなりました。体力だけの問題ではないかもしれませんが、健康に過ごすには体を動かし体力をつけることも大切だと思います。

 社会人になり運動することもさっぱり無くなっていましたが、風邪をひかない体づくりのために少しは運動しようと思っています。寒い日にこそ、こたつに丸まるのではなく、外に出て運動する。これを心掛けていきたいですが、やはり走ること以外で体力作りを続けていける運動を見つけていきたいなと思っています。



作業療法センター/正木孝一

常日ごろより、我が子たちには「字をきれいに書きなさい」「お父さんはいつもキレイな字を書きよった」「勉強も毎日のようにしよった」などと、父親としていかにもな小言を言っております。

そんなある日の休日のこと、父親である私の威厳を揺るがす出来事がありました。祖母宅(私の実家)へ遊びに行き、帰宅した子供たちがニヤニヤと私の顔を見て言いました。「お父さんの小さい頃の日記見たで?」と、そして手土産のように10冊程、私の小学生時代の宿題日記を持ち帰っているではないですか。

なんたる不覚。我が母の粋な計らいのせいで、キレイな字とは程遠く、誤字・脱字にまみれた日記を我が子に読まれるはめになったのです。「うわっ、字きたな。なんか変な落書きがあるやん」と子供たち。立つ瀬が無い私は「まあ字はキレイじゃないけど、内容はおもしろいろ」と自分で自分をフォローし苦笑い。


あまり読み込まれると、後々の父親の面目に関わるので「今日は早う寝なさい」と、何とか子供たちを日記から、いなします。そして、ようやく子供たちが寝静まった後、一人こっそりと日記を読み返してみました。鉛筆で書いた筆圧の強い汚い字を見ていると、当時のわんぱくな頃の記憶がよみがえってきます。そして、大人になり影をひそめてしまった子供ながらの旺盛な好奇心や童心が懐かしまれます。読みながらふと思うと、時代は違えど子供の考えや行動、ましてや我が子なら似たような部分が多くあるように感じました。我が子たちに、いかにもな小言も良いが、もっと子供の目線で寛容に! と古い日記の私に教えられたような気がしました。

せっかくなので、ここで小学3年生の頃に書いた、ある日の宿題日記をひとつご紹介します。

 『せつぶん』
今日はせつぶん、まめがくえると思い、
お母さんにまめかってきたときくと「か
ってきてない」と言った。ぼくは「まめ
くわんが」ときくと、「きょ年のがのこっ
ちゅう」とお母さんがいった。ぼくが「そ
んなもんくったら腹こわすやん」という
と、お母さんが「だいじょうぶ」といった。
それから夜まめくった。味はかわらなか
ったけど腹はだいじょうぶかな。

大人になって読むと、なんとお恥ずかしい親子の会話を日記にしていたものか。読んでコメントをくれた当時の先生の心中を察すると笑えてきます。こんな風に古い日記を読み返していると、1年前の節分の豆もさることながら、30年前の古い日記を、これまで大切に保管していてくれた母親に感謝の気持ちでいっぱいにもなりました。

どうぞ皆さんも機会があれば幼き日の古い日記を探してみてください。ほっこりと温かい気持ちになれるかもしれません。そしてお子さんがいらっしゃる方は是非とも孫の代まで大切に保管し、受け継いであげて欲しいと思いました。


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